20世紀初頭に活躍した詩人、小説家コストラーニ・デジェーの短篇、 「四月バカ」(1908)の日本語訳を同人誌『じくうち』21号(2010年4月発 行、千田耕二編集)に発表しました。エイプリールフールにちなむ、情感の 細やかな若い学生が主人公の短篇です。作者20代の作品ながら、デッサンの ように精巧な心理描写と空想力の豊かさを感じとることのできる1作です。初 期1908年の作品、短篇集『Horoszkóp』(Budapest,1999)に収録。
だれのものでもないチェレ ハンガリー 1976年 監督 ラノーディ・ラースロー(Ranódy László) 原作 モーリツ・ジグモンド『みなしご』 (Móricz Zsigmond "Árvácska" 1941) チェレ ツィンコーツィ・ジュジャ (Czinkóczi Zsuzsa ハンガリアン狂詩曲) 公式サイト http://www.pioniwa-selection.com/hungary/chere/ ラノーディ・ラースロー監督の『だれのものでもないチェレ』‘76が原版 か新しくプリントされ美しい画像で蘇り、31年ぶりに公開されました。原 作となった『みなしご(Árvácska)』は短篇『7クロイツァー』の作者、モ ーリツ・ジグモンド(1879-1942)の晩年の作品です。舞台となった1930年初 め、ハンガリーにはホルティ政権によるファシズムが広がり、さらに世界 大恐慌の余波から農業恐慌に見舞われ、農作物価格が下落したため多くの人 が貧しい生活を強いられていました。 映像はおぼろげに上る太陽、子守唄のような合唱のハミングではじまり、 見るものを次第に主人公チェレの過酷な日常へひきこんでいきます。農家に ひきとられた孤児チェレは、服も与えられず、養父母の「しつけ」という名 の暴力を受け、数知れない罵りの言葉にひたすらに耐える日々を送っていま した。当時、孤児をひきとることにより里親には国から養育費があたえら れ、それを目当てにしていた様子も描かれています。やがて、続く暴力にチ ェレは耐えかね、「もうわたしをたたかないところへ行く」という人 間としての感情に目覚め、牛のボリシュとともに大平原へ逃げだします。と ころがいきついた農家から孤児の収容所に預けられ、またもや奴隷のように 新たな養母ジャバマリに引き取られます。 まるで民話の魔女のような養母のもと虐待はさらに続きますが、最も印象 的だったのは、ジャバマリにスリッパで叩かれたチェレが、将来自分はもっ と大きなスリッパで叩き返すのだと叫ぶのを、ともに暮らす老いた使用人が 心配そうにみている場面です。老人はその後チェレを教会に連れて行き、キ リストはチェレ、ジャバマリ、みんなのために死んだのだ、と教えます。物 語の中でジャバマリは強者ではありますが、過去にとらわれ救われない人物 として描かれています。 やがて訪れる末は、悲しく、目を覆いたくなるほどですが、不幸に耐え、キ リストの道へすすむことを幸せとするならば、この終わり方にも救いはある のかもしれません。しかし、クリスマス前夜、豚をさばく男たちを手伝うチ ェレの姿にはチェレの人間としての尊さが感じられ、物語はキリストの救い を柱にしつつも、大人たちはチェレになにをすべきだったのか、という深い 問いを強く投げかけているように思います。 2010年1月30日より渋谷、シネマアンジェリカにて上映中。 詳しくは公式サイトをご覧ください。
カティンの森 (Katyń)ポーランド 2007年 原作・監督 アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda) (邦訳・・・工藤幸雄・久山宏一訳『カティンの森』集英社文庫) アンナ マヤ・オスタシェフスカ アンジェイ アルトゥル・ジュミイェフスキ 公式サイト http://www.katyn-movie.com/ 1939年9月17日、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。世界は1930年代半ば 「日本・ドイツ・イタリアの枢軸陣営と、イギリス・アメリカ・フランスの 自由主義陣営、および社会主義国のソ連という3つの勢力の対立が次第に表 面化していった」(井上光貞ほか『新詳説世界史』(1992年、山川出版社) p.322)とあるように、日本、ドイツ、イタリアが次々に国際連盟を脱退し、 各陣営の対立は次第に溝を深めていった。中国では抗日救国運動が高 まり、1937年に北京郊外で日中両軍が衝突、いわゆる盧溝橋事件から南京事 件に発展していく。 本作『カティンの森』の舞台となったポーランドは、その枢軸陣営と社 会主義国、つまりドイツとソ連に挟まれた国であった。ドイツにはヒトラー のナチズムが広がり、勢いを増し1939年9月1日この国に侵攻する。その約2週 間後の17日にソ連も侵攻し、ポーランドは独ソにより分割占領される。そし てドイツによるこの宣戦をうけ、イギリス、フランスがただちにドイツに宣 戦布告し、第二次世界大戦が始まる。 このような戦況の中、1940年ソ連共産党政治局司令によりの捕虜となったポ ーランド軍人のうち、将校ら1万数千名が虐殺される。遺体は現ロシア領カテ ィンほか、2箇所にうめられた。この事実は1943年ソ連にかわってカティンに 侵攻したドイツの調査団により発見される。しかし再びカティンを占領した ソ連軍はドイツによる虐殺と結論。すでに1990年にゴルバチョフがソ連の過 ちであると認め、史実が明らかになっているが、その後のドイツのアウシュ ビッツでの史実を考えると、物語のなかで、ソ連、ドイツ、双方が発掘調査 の記録映画を流す様子に、この事件がどちらの犯罪であったのか。しばし混 乱してしまう。 しかしアンジェイ・ワイダ監督が描きたかったのはそのようになにが本当 かわからず、惑わされてきた市民の心なのではないか。犠牲者リストに名前 がないのだからいつか夫は帰ってくるのではないか、と玄関の足音に期待を 膨らませる妻。ソ連の遺体発掘調査に同行し、利用され、苦悩する虐殺の生 き残りの軍人。カティンの事実を封印され憤りを隠せない犠牲者の家族。こ の苦しみを記録することにより、ポーランド国民がどこの国とも同じ、「人 間」であるということを訴えているように思う。 参考文献 EQUIPE DE CINEMA (2009,岩波ホール),No.174 井上光貞ほか『新詳説世界史』(1992年、山川出版社) 2009年12月 岩波ホールで上映 amazon.co.jp カティンの森 (集英社文庫)
ウィニングチケット-遥かなるブダペスト-(Telitalálat) ハンガリー 2003年 監督 サボー・イレーシュ, カルドシュ・シャーンドル (Szabó Illés, Kardos Sándor) 原作 サボー・イレーシュ (Szabó Illés "Telitalálat") ベーラ ガーシュパール・シャーンドル (Gáspár Sándor) ベーラの妻 スィルテシュ・アーギ (Szirtes Ági 倫敦から来た男) ベーラの母 テレーチク・マリ (Törőcsik Mari メリー・ゴー・ラウンド) ロージカ サライ・マリアン (Szalay Mariann) 公式サイト http://www.pioniwa-selection.com/hungary/winning/ サボー・イレーシュの原作、『Telitalálat』の図書紹介http://bookline.hu によると、42戦のサッカー試合のうち、12試合の得点状況(対オーストリア戦引き 分け)をすべて当てた者に、賞金約66万フォリントが与えられる、というサ ッカーくじに当たった男の物語である。時はハンガリー動乱の勃発した1956 年10月、フォークリフトを操縦する主人公の1ヶ月の給料は550フォリント。 賞金は当時の月給100年分とほぼおなじだ。 主人公のベーラいつもどうりヒゲを剃り、出勤の支度をする。部屋には妻 と娘、老いた母そして下宿人の美しいロージカと朝帰りするその恋人。息子 は朝から中庭でドリブルに夢中だ。妻はロージカよりよい条件で部屋を貸 し、収入を増やそうと考えている。そんなある日、ベーラは「間違えて」サ ッカーくじを買う。ホームグランドでハンガリーが負けると書いてしまうの だ。それはサッカーを愛するファンとして「あってはならないこと」。気が つくが、うまく書き直すことができない。しかし皮肉なことに、そのサッカ ーくじが大当たりする。ちょうどそのころ、動乱が起る。 これが大筋だが、物語のメッセージは、祖国へ強い思いでもなく、 攻撃への強い怒りでも、貧困の空しさや金、権力へ批判でもない。た だ主人公の人生は内まきのスパイラルのように進んでいく。巨額の富を手に することにより、噴出する妻の欲望。家族との別離、酒瓶のならぶ部屋で、 ロージカとの浮世離れした生活。ベーラの人間関係は狭まり、仕事も退職 し、バンドの演奏に囲まれ、飲み続ける毎日。 ところがそれがまさに「蜘蛛の糸」のように切れてしまう。(もう一人の監 督、Kardos Sándorは芥川龍之介の『手巾』を脚色した映画を手懸けている) その展開には仏教説話のような趣があり、狂乱の世の中に普通の人の感覚を みいだし、より原始的な、だれもが抱く「欲」について鋭く描いているよう に思う。 2010年1月30日より渋谷、シネマアンジェリカにて上映中。 詳しくは公式サイトをご覧ください。
倫敦から来た男(The Man from London) ハンガリー, ドイツ, フランス 2007年 監督 タル・べーラ (Tarr Béla) 脚本 クラスナホルカイ・ラースロー (Kurasznahorkai László) タル・べーラ (Tarr Béla) 原作 ジョルジュ・シムノン (Georges Simenon) 出演 ミロスラヴ・クロボット (Miroslav Krobot) ティルダ・スウィントン (Tilda Swinton) デルジ・ヤーノシュ (Derzsi János) (上映言語 英語、仏語) 2010年1月 渋谷 シアター・イメージフォーラムにて上映中 http://www.imageforum.co.jp/theatre/ 「サタンタンゴ」で知られる、ハンガリーのタル・ベーラ監督の最新作。原作者 ジョルジュ・シムノンは1903年ベルギーに生まれ、「後に84篇もつづく「メ グレ警視」シリーズ第1作目「怪盗レトン」を31年に出版」、「江戸川乱歩も 影響も彼の作品を翻案とし、「幽鬼の塔」を書いた」(『倫敦から来た男』 (ビターズ・エンド),p.13)とあるように、日本にも紹介され、半世紀にわた りヨーロッパで広く活躍した作家である。映画化された最近の作品に、89年 ル・コント監督の「仕立て屋の恋」がある。 残念ながら、タル・ベーラ監督の力量について語れるほど、私は映画に精通 していない。しかし、作品を見た後、なにか不思議な感覚にとらわれる。翌 朝、朝食をつくり、食器を洗っているときも、同じような主人公マロワ ンの姿を映画でみたように思うのだ。おそらくそれは「長回し」と いう撮影技術によるようだ。物語は港の労働者マロワンの平凡ななに げない生活のなかで進んでいく。殺人、強盗に次第にかかわっていくのを、 わたしは映画のなかでゆっくりとマロワンの呼吸で「体感」する。 したがって、作品を見終わったあと、マロワンの失敗、罪の意識が自分の目や、 手といっしょに動くようになる。だから日々のほんの小さなことがらにその 境界線があることを知るのである。ゆえに白と黒の映像にひろがるのは、ど こか異国の、恐怖や絶望といったものではなく、迷い、なんとか手探りでつかみ、 生活の傍らに在る、幸せ、現実、なのである。 参考文献 倫敦から来た男,(ビターズ・エンド) 《劇場パンフレット》
最近読んだ図書の紹介です。 モルドヴァのチャーンゴー人 チョマ・ゲルゲイ 写真・文 粂 栄美子 訳 田代 文雄 解説・監修 1995年 恒文社 税込3670円 「チャーンゴー」とはルーマニア北東部、東カルパチア山脈とプルート川の 間に広がる、モルドヴァ地方に居住するハンガリー人のことをいう。巻末の ハンガリー史研究者田代文雄氏の解説によると、東西ローマ帝国の境を名残 に、ルーマニアより東はギリシア正教圏になるが、チャーンゴーの人々は 西のローマカトリック圏であるトランシルヴァニア北部より移住してき たため、周囲から孤立しローマカトリックを信仰している。17世紀になり、 ローマ教皇はギリシア正教徒の多いこの東の地へカトリックの布教をおし すすめ、その際難解なハンガリー語を避け、ルーマニア語を用いたため、村 にはハンガリー語を解す聖職者が次第に減っていった。このため、村には迷 信や古い因習が色濃くのこる結果となったという。 本書はその後第二次世界大戦以後共産党政権下においてハンガリー語の使 用を禁じられ、墓石にもその言語の使用を認められないようなチャ ーンゴーの人々の暮らしを、ハンガリー人写真家、チョマ・ゲルゲイが1980 年代に危険を冒しモルドヴァを訪れ、時に隠しカメラを使用し撮影し た貴重な写真集である。人々の過酷な現実とともに、消え入るようではある が、昔話だけに残るような古いハンガリーの風習、日々の営みを邦訳の解説 付きで知ることができる。 amazon.or.jp モルドヴァのチャーンゴー人
先月より、ハンガリーの作家、コストラーニ・デジェー (Kosztolányi Dezső 1886-1936)の『四月バカ』という題の短篇小説を、訳 しています。日本語訳を同人雑誌『じくうち』に来春掲載する予定です。 初校を提出する際、ハンガリーについてあまり知らない読者に読んでもら ったところ、一部文中の表現の意味がよくわからない、という指摘がありま した。 ものがたりは学生寮の同じ部屋の三人のうち、二人が残る一人をエイプリ ルフールの日にひっかけようとするものです。夜、脅かそうとして戸棚に隠 れてひそんでいる主人公が、のぞき穴から相手をみながらこんなことを思い ます。 ・・・死んでしまった人のような寂しさの中、だれかが不意にあらわれると、 ことさらに驚く。とりちらかした宝を集めようとし、はっとする。 (Ezért ijedünk meg, ha néha valaki halotti magányunkban váratlanul meglep. Szétszórt kincseinket össze akarjunk szedni: felrezünk) Kosztolányi, Dezső. Április bolondja : Holoszkóp, Válogatott elbeszélések 1905-1918(Budapest, 1999) そこで先の指摘は、宝物を集める、という意識が理解できない、と いうものでした。 私個人はこの箇所を読みながら、ある絵を思い浮かべました。今年5月に ブダペシュトのハンガリー国立美術館で出会った、Vágó Pálの『Magyarok Kiev előtt』(キエフを前にしたマジャール人)という油彩画です。作品は、マジ ャール族の近隣民族、ハザール帝国のものとおぼしき勇者たちが、キエフに いるハンガリー人たちから金銀財宝、剣などを没収している様子を描いてい ます。この絵では、マジャール人たちが先にキエフに居留していた、という ように史実をとらえているようです。 ・Vágó Pál, Magyarok Kiev előtt (Magyar nemyeti galléria) http://www.mng.hu/kiallitasok/allando/176/oldal:23/1036/ 主人公の頭にうかんだ情景は、このようなものだったのでしょうか。しか し、わかりにくいのは、このなんでもない、寮にひとり取り残された場面に おいて、「驚き、宝を集めようとする」、と言っていることなのです。普通 の日常ならば、肝をつぶす、腰を抜かす、という身体におよぶ感覚的なもの でいいように思うのです。 その後、ネイティヴの先生に意見をうかがい、また前後の文脈から考え、 ここでは、「とっさに体裁をととのえる」というのが意味の上で自然なので はないかと思い、再び訳を検討することにしました。 とはいえ、「宝を集める」という行為は依然難解な心理といえます。その 著者の詩的な表現のなかに、深いヨーロッパの文化が横たわっているように 思うのです。
モンド15号発行 この秋、同人雑誌モンド15号が発行され、先日10月11日に同人の合評会が 東京日本橋ルノアールで開かれました。これまで私はハンガリーの民話や詩 を投稿してきましたが、今回はこの5月に訪れたルーマニアのトランシルヴァ ニア(ハンガリー語エルデーイ)についてエッセイを発表しました。 主な収録作品 エルデーイ -ガラスの山- 柴 なほ 現地での人々とのふれ あいと昔話を探る旅 熱海の海岸掃除する 明森 まつり 海底清掃にとりくむ ダイバーが目にした熱海とは、、、 ロシアの森で育まれたオーリャ 梓 陽子 ロシアから嫁いできた、 若きオーリャの心をみつめて モンド15号購読ご希望の方は下記よりお申し込みく ださい。無料(送料サービス)にて発送いたします。 ・モンドご注文 ・・・モンド同人の出版・・・ 日本エッセイスト・クラブ編 『死ぬのによい日だ‐’09年版ベストエッセイ集‐』(文藝春秋) モンド14号に掲載された同人有馬哲史の『ひげ』が’09年ベス トエッセイに選ばれ、55編のエッセイ集として文藝春秋より出版されまし た。著者がサウジアラビア西海岸、ラービグへ赴任したときのエピソードで す。図書は現在全国書店でお求めになれます。 Amazon.or.jp 死ぬのによい日だ―’09年版ベスト・エッセイ集
カルドシュ・タマーシュ写真展 ソルノク県立病院写真現像所に勤務する、カルドシュ・タマーシュの写真 展が新宿御苑のアイデムフォトギャラリー「シリウス」で9月17日より30日ま で開催され、最終日にギャラリーを訪れた。 展示は父の肖像にはじまり、病院の中の祈り、快復の様子などが、おおらか な背景につつまれるように写し取られている。周囲も同じ緊張感でとらえ られているため、言葉では伝わらないような「説明」となる。 ハンガリー東部に多い、湖水に残る枯れ木立、嵐の前の神秘的な金色の田 園風景、たくましいコウノトリ(ゴヤ)の親子の姿から、人の営みをはる かに超越したような世界がすぐそばに存在することに気づく。最後の貴腐ワ インの収穫を収めた作品では、黄色に色づくブドウの葉の美しさを強調し、 収穫という人の命の繋がりを見守る自然の力強さを、見慣れた構図の中で 深く伝えている。
カラーカ コンサート ハンガリー民族楽団、カラーカのコンサートが、去る2009年9月21日小平市ル ネ小平で行われた。ハンガリーとの国交樹立140周年の催しとして来日し、小 平のほか国内数箇所でこの秋コンサートを開いた。子供向けのコンサートを 積極的に開くなど、1970年の結成以来、ハンガリー国内で継続的に人気のあ る男性4人組の楽団である。レパートリーはヴェレシュ・シャーンドルな どのハンガリーの詩にメロディーをつけ、リコーダー、コントラバス、チタ ー、マンドリンのほか、さまざまな音をつむぎ出す民族的打楽器によりバン ド音楽として編曲したものである。 今回のプログラムは、カニャーディ・シャーンドルの詩による、南米カルタ ヘナをうたった『ロマンス』、ヴェレシュ・シャーンドルの詩による心の原 風景をうたった『無限についての歌』など、大人向けの作品のほか、同じく ヴェレシュの詩による『夏の絵』など、子供向けの作品もあり、大人から幼 児まで楽しめる内容であった。 後半の『チェロのお話』は団員グリルシュ・ヴィルモシュの創作による、チ ェロを使った日本語によるひとり劇であり、日本むけの演目として成功して いる。また台詞の邦訳を手懸けた、司会のカールマン・アンドレアの力量も 高く評価されるべきであろう。